資生堂の宣伝活動について語るとき忘れてならないのは資生堂がもつデザインポリシーである。このことについて、四一年から四四年まで資生堂宣伝部制作室長を務めた山名文夫は『資生堂宣伝史』の中でこのように語っている。「私は、資生堂のこと、とくにデザインのことを考えるとき、資生堂が創業の時からわが国の第一級の土地柄にいて、いち早く西洋の文物を取り入れた『新知識』と『ハイカラ』が経営者にあったことを見落とせないと思います。創業者の福原有信は、もと海軍の薬剤官でしたが、子息の信三も薬学を志してアメリカに留学、やがて父君の事業に関係することとなりました。資生堂が本格的に化粧品企業に踏み出しだのはこの信三の代になってからで、氏の芸術的資質に最もふさわしい事業であったと思います。化学者として品質の研究に厳しく臨んだのはもちろん、化粧品の外装はもとより、経営全般にわたって高い気品を求めたことは容易に察しられます。私は、氏の口から一再ならず『rich』ということばを聞きました。ゆたかさということが氏の指導精神でありました。卑俗なもの、貧弱なものに背を向けました。こうして福原信三は、経営の重要なポリシーの一つとしてデザインをとりあげ、むしろそれに優位を与えようとさえ思います。それが今日まで大切に守られ、資生堂調といわれるニュアンスが常に失われることがなかったゆえんだといえます。デザインポリシーは経営の理念そのもので、表現の仕事はその理念の開花だといってもよいでしょうか。一世紀ものながい間、人も変わり組織も変わり、デザインも時にメイクアップも変えながらも、あるイメージを伝えてきているのは、創業者のビジョンが今も生きていて、デザインの根にあるからであろうと思います」。まさに資生堂の宣伝ポリシー、企業文化、ひいては経営理念まで語った名文と言えよう。このような背景に裏付けられたこのキャンペーンは、資生堂のみならず、マーケティングの歴史のなかで、宣伝が果たす経済効果を考える上で新しい意味合いを持ち、それ以降の日本の宣伝広告業界の発展に多大な貢献を果たした意味からも特筆すべき出来事であった。ただ、この宣伝CM「太陽に愛されよう」はまだ白黒であり、その意味では小林亜星が作成した翌四二年のレナウンニットのCM、イェイェ娘はカラーCMで初めての作品として記録されている。そして、この後四二年に日本広告学会が発足している。
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